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「努力できることが才能であるという信念を胸に、これからも走り続けます!」卒業生 高月 智生さん

2016年3月1日
卒業生、駒高を語る

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高月智生さん 2010年卒
駒澤大学経済学部4年
駒澤大学陸上競技部
トヨタ紡織内定
横浜市立美しが丘中学校出身
今回は、前回のインタビューに答えてくださった宮下さんと同学年、駒大高校陸上競技部出身の高月智生さんにお話を伺います!
中学時代から宮下さんと一緒に陸上競技をしており、共に駒大高校に進むことを選び、2枚看板として活躍。大学進学後は駒澤大学の陸上競技部で切磋琢磨した二人。今年の箱根駅伝では、10区(復路アンカー)にエントリーされたものの、本番では別の選手が走ったため、残念ながら箱根を走ることはありませんでした。
今日は、練習後に急いで高校に駆けつけてくださいましたが、駅から学校まで走ってきたとのことで、道行く人々はそのスピードにさぞ驚かれたことでしょう(笑)。

―箱根駅伝、エントリーされたので期待していたのですが、走れず残念でしたね…。心境はいかがですか?
高月:10区を走ったのは、自分とほぼ同じタイムをもつ選手でした。同級生ならまだしも、下級生だったので、とても悔しかったです。4年生で、箱根を走れるチャンスは今年で最後だったというのもありますし。でも先輩の代わりに箱根を走るというプレッシャーは相当なものだったと思いますし、そんな中しっかり走り切ってくれたので、走り終えた彼には「襷をつないでくれてありがとう」と伝えました。

―高校の陸上競技部での思い出を教えてください。
高月:キャプテンの宮下がしっかりとチームをまとめてくれていたので、自分は走りでチームを引っ張ろうと思っていました。常に先頭に立ち、後輩たちの見本になるよう意識して練習に取り組んでいました。何事も、「毎日コツコツ努力する」ということを大切にしていました。粘り強く努力できる習慣は、高校時代に育んだものだと思います。
3年間の活動の中で、やはり「都道府県対抗駅伝」の東京都代表として走ったことは印象深いです。担任の先生やクラスの皆が「テレビで応援したよ!」と言ってくれたことをよく覚えています。東京都2位に貢献できたことはとても嬉しかったです!


―大学での競技生活はいかがでしたか?
高月:実は、1年生から3年生まで、故障していて満足に走れていなかったんです。普通であれば、マネージャーに転向したり、部を辞めてもおかしくないくらいの状況でした。

―それは苦しかったでしょうね…。そこで自分を支えてくれたのは何だったのでしょう?
高月:私は「努力できることが才能である」という言葉を大切にしています。走れなくても、その時できることを考えて、コツコツ努力を重ねました。その甲斐あって、4年生で箱根のメンバーに選ばれた時には、大きな達成感を感じましたね。それから、大八木監督がよく、「自分のためではなく、人のために走れ」とおっしゃるんです。何かと気にかけてくれる高校時代のコーチ、笑顔で送り出してくれた高校の友人、そして両親のため、とにかく根性で頑張りました。

―今後の抱負を教えてください。
高月:私はこれからも実業団(トヨタ紡織)で陸上を続けていきます。大学の厳しい世界で苦しい思いや悔しい思いをずっとしてきて、怖いものはもう何もないので、箱根を走れなかった悔しさを思い切りぶつけたいです。ニューイヤー駅伝で上州路を走る姿をお世話になった皆さんに見てもらえるよう、これからも努力を続けていきます!

―ありがとうございました!元日のテレビ中継で高月さんの雄姿を見られることを楽しみにしています。これからも頑張って下さいね!!

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