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2年生 大本山永平寺拝登の記録

2016年6月25日

 本校では、2年次の6月に永平寺拝登が行われます。今年は6月20日、21日、23日出発の3班に分かれ、1泊2日で参禅修行をしてきました。
 永平寺は曹洞宗開祖である道元禅師が1244年に創建した禅寺です。永平寺は福井県の大佛寺山という山に拠り、海抜200mほどの高さにあります。七堂伽藍をはじめとした歴史ある建築物や文化財を有するとともに、200人余の修行僧が日夜修行に励んでいる、生きた修行道場です。

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【1日目】
 出発は東京駅から新幹線で米原駅へと向かいます。新幹線内では課題に取り組む生徒、朝早かったのか眠ってしまう生徒などそれぞれの過ごし方を見せていました。米原駅で下車し、ここからはバスで福井県を目指します。
 永平寺に到着すると、その情緒ある門前町や落ち着いた趣の参道に生徒も目を見張ります。ですが、のんびりと雰囲気を味わう間もなく、吉祥閣という宿泊研修用の施設で開講式を行いました。雲水と呼ばれる修行僧たちに案内され、生徒たちは部屋へと通されます。今年は本校卒業生や海外から来ている外国人の雲水さんもいました。開講式は正座が続くため、生徒は皆辛そうでした。筆者も以前、生徒と一緒に永平寺拝登に参加しましたが、この最初の正座が一番辛かったです。

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 永平寺では雑談などが禁じられる場所があります。東司(お手洗い)、浴司(お風呂)、坐禅堂、この三つの場所は三黙道場と呼ばれ、私語禁止の空間です。通常なら、お手洗いやお風呂では気も緩み、話も弾むこともある場所ですが、禅の修行の場ではそれは許されません。一つ一つの所作までもが修行の一部なのです。

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 さて、写真は薬石と呼ばれる夕食の風景です。合唱し、五観の偈をお唱えした後、食事をいただきます。永平寺では食事にもルールがあります。一度に何種類もの食物をむさぼるように口に含まない、しゃべらない、音を立てない、食べ物を見下さない、といったものです。味や量については、生徒のふだんの食事や好みによって評価が分かれますが、丁寧に作られていることはその評価を越えてわかります。胡麻豆腐の滑らかさも絶品ですが、おしゃべりは禁止なので「おいしい!」と声をあげることはできません。生徒たちの食事のマナーはかなり良かったそうです。

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 食後はまず坐禅の時間、眼を完全には閉じず、前方に視線を落として坐ります。この時、背中はピンと筋を通すように伸ばします。よく「上から糸で吊られている感じ」と例えられます。万が一、眠気に負けてしまうと、「励まし」の意味を込めて警策で肩を叩かれます。通常は、ぽんと置く感じで叩かれるのですが、あまりにもぐっすり寝ているとパーン!と良い音が響くことになります。
 坐禅の後は法話。1、2班は両手両足を失いながら、口を使った裁縫などの芸により見世物小屋で自立した生活を送った中村久子氏のエピソードなどをまじえ、人生には幸も不幸もあるが、それに心惑わされることなくしっかりと自分の人生を受け止めて生きていきことの大切さをお話しいただきました。3班では、「はきものをそろえる」という表題の詩から、自分の足元、自分の行動を振り返ることの大切さ、他人のはきものの乱れ、他人の心の乱れにも手を差し伸べられるような心をもつことが、人生を歩むうえで大切であるとお話しいただきました。生徒たちは一生懸命、話に耳を傾けていたようです。

【2日目】
 午前3時、振鈴当番が寺内を駆け巡りながら振鈴を鳴らし、生徒たちは起床、布団の片付けと寝ぼけ眼をこする間もなく朝の支度を済ませていきます。その後、早朝の坐禅を経て、法堂での法要に参加します。永平寺は大佛山という山にあり、朝の空気は本当に冷たく、新鮮です。そして法要が始まるあたりで日の出を迎え、運が良ければ金色の光に照らされる永平寺を見ることができます。永平寺という空間に来たことに一番感動する瞬間ではないかと思います。
 法要の後は、まだ若い雲水さんが諸堂拝観に連れて行ってくれます。生徒たちは興味深そうに雲水さんの解説に耳を傾けながら、一つ一つ、永平寺の建物を回っていました。諸堂拝観から戻ると閉講式、長かったようで短い永平寺拝登も一段落を迎えます。開講式同様、ここは正座で過ごすため、生徒たちはやはり辛そうでした。

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 永平寺を出て、門の前で写真撮影などをしていると生徒たちにも元の調子が戻ってきます。門前町には美味しいソフトクリームもあり、毎年人気なのですが、とてもみんなが食べている時間はありません。バスに乗り込み、道元禅師が得度を得た比叡山横川の地をお参りします。緊張から解き放たれたせいか、生徒たちは行きよりも帰りのバス内での方が元気だったとのことです。また、男子生徒には永平寺の精進料理では物足りなかったのでしょう。レストランでの昼食やサービスエリアでの間食では、皆元気よく食べていました。今は皆さん、特別な制約のないいつもの生活を無邪気に楽しんでいただきたいと思います。ですが、永平寺での生活と比べて、いかに皆さんの普段の生活が彩豊かなにぎやかさに囲まれているか(それは時としてわずらわしさになることもあるでしょう)、そのにぎやかさの中で自分にとって大切な時間や関係を見失っていないか、たまにでも思い返していただければと思います。

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 最後に生徒の感想をいくつか抜粋して紹介したいと思います。
「坐禅は学校でもやっていたので、そんなにつらくなかったけど、警策をやってもらったのは初めてで、こんな貴重なことはできないと思いやってもらいました。やってもらって心がすっきりした気持ちになりました」
「私は今まで食事について特になにも考えず、ただ食べていただけです。しかし永平寺の精進料理では、食べ物一つ一つの命をいただいているのだから大切に、丁寧に食べなさいとしつこく言われました。でも野菜も人も動物も命が平等なのに野菜は食べていいのに肉、魚、卵は食べてはいけないのが不思議でした。別に平等なら食べていいと思います」
「丸子老師が法話でおっしゃっていた正法眼蔵の生死の巻の一部である「嫌がらず、欲張らず」は深い言葉だといろいろと考えさせられました。今までの生活では楽しいことばかり求めて、それがいくらあっても満足できなくて、嫌なことが少しでもあると、他のことまで嫌になっていました。しかしそれは自分の甘えであり、本当だったら生きているだけで、食事ができているだけで幸福を感じるべきでした」
「(禅の教えは)生きていく中でどんなことが起こるか分からないけど、たとえどんなことがあろうとも、前を向いてプラスの時もマイナスの時も一生懸命打ち込んでいくことが大切ということです。このことを聞いた時、私は心を打たれました」

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