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古の道を歩く

1年生の遠足は、畑宿から箱根関所まで「箱根旧街道」を歩きました。
箱根といえば芦ノ湖。箱根関所はその芦ノ湖の湖畔にあり、箱根への入口となる畑宿と関所を結ぶ「山越えの道」は江戸時代、交通の難所として知られていました。畑宿から関所へ、古の人々が歩いた道を歩いてみよう!それが今回の遠足のテーマの1つです。
さらに、1年次のカリキュラムでは11月に箱根巡検が予定されています。この道を再び歩く訳ではありませんが、自分が実際に歩いたことのある山について学ぶのと、ただ本を読むだけで学ぶのとでは、学ぶときに呼び起されてくるものもちがうでしょう。今回の遠足には巡検の準備学習という側面もあります。

山道そのものは整備され、昔ほど歩きにくくはないので半日行程とし、午後は海賊船と遊覧船をチャーターして芦ノ湖遊覧を楽しみました。
クラスができてから初めての校外行事。これから卒業までの日々を歩む仲間たちと共に、親睦を深めました。

江戸時代から続く石畳

箱根旧街道は、東海道きっての難所として知られる山道です。江戸と京都を結ぶ交通の要所として江戸幕府により関所が設けられ、人とモノの往来が厳しく取り締まられていた場所でもあります。
ちなみに関東の「関」とはこの箱根関所を指します。(→関所の東、で関東。もちろん西は関西)

箱根関所は元和5年(1619年)に設置され、明治2年(1869年)に廃止されるまで250年間に渡って関所の役割を果たしていました。現在目にするのは、それが朽ちて失われた後、近年なって復元されたものです。ここに至る旧街道には当時の石畳や杉並木が残されており、江戸の昔を彷彿とさせます。

この場所は、地学的には箱根の外輪山が唯一壊れている箇所にあたり、箱根のカルデラ内へと続く深い谷を形成している所でもあります。
その谷に沿って人々が往来したのがそもそもの始まりで、この谷以外の所からは急峻な山を越えるしか箱根の中に入る手立てはありません。 この谷沿いの街道を山をかき分けながら登りつめると急に開けるようにして芦ノ湖、そしてその奥に、駒ケ岳と噴煙を上げる大涌谷が見えてきます。車のない時代、徒歩でこの道に分け入った人々はきっとその光景に息を呑んだことでしょう。

当日の様子

当日は昼すぎから降水確率が高く、雨天コースに変更するかどうかが危ぶまれる空模様でしたが、万が一の場合はバスの中で昼食も取れるし何とか歩ききれるのではないか、という判断で予定通りのスタートとなりました。
現地は薄曇りで、意外にも地面は乾いていました。石畳も乾いていて、日射しがない分、むしろ歩きやすく感じました。
途中、車道(=箱根新道)と交差しながら石畳の道は芦ノ湖へと続きます。樹林の中なので展望はありませんが、近くの人とおしゃべりをしたり写真を撮ったりしながら生徒たちは順調なペースで歩いていました。恩賜箱根公園に到着したクラスから集合写真を撮影し、昼食となる予定でしたが・・・

ここでぽつぽつと雨が降り始めました。まだ駐車場にバスが残っているクラスから車内へと避難し、遅く到着したクラスはバスの中で食事という、ある意味想定通りの展開となってしまいました。
天候の回復を待ちつつ、船の出港時間を待つこと1時間。日が陰って肌寒くなりつつありましたが、それでも船に乗るというのは気分が高揚するものです。生徒たちは甲板に出て景色を眺めたり、船室に戻って暖を取ったりと、船内を移動しながらクルージングを楽しんでいました。
下にほぼ時系列に沿って写真を載せておきましたので、その様子をぜひご覧ください。