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古の道を歩く

今年の遠足は1年生、2年生とも、畑宿から箱根関所まで箱根旧街道を歩きました。
箱根といえば芦ノ湖、そして関所が有名ですが、箱根の入口となる畑宿と芦ノ湖の湖畔にある関所を結ぶ「山越えの道」は、江戸時代、交通の難所として知られていました。畑宿から関所へ、古の人々が歩いた道を歩いてみよう!それが今回の遠足のテーマの1つです。

山道そのものは整備され、決して長いものとは言えないので半日行程とし、午後は芦ノ湖遊覧船・海賊船をチャーターして芦ノ湖遊覧を楽しみました。
新クラスになってから初めての校外行事。1年生はもちろんのこと、2年生もクラス替えからまだ日が浅く、親睦を深めるよい機会になったのではないかと思います。

江戸時代から続く石畳

箱根旧街道は、東海道きっての難所として知られる山道です。江戸と京都を結ぶ交通の要所として江戸幕府の命により整備が進められ、石畳が敷かれました。そして、芦ノ湖のほとりに関所が設けられ、人とモノの往来が厳しく取り締まられていたということです。
ちなみに関東の「関」とはこの箱根関所を指します。(→関所の東、で関東。もちろん西は関西。)

箱根関所は元和5年(1619年)に設置され、明治2年(1869年)に廃止されるまで250年間に渡って関所の役割を果たしていました。現存する関所は、それが朽ちて失われた後、近年なって復元されたものです。箱根駅伝の折り返し地点としても有名なのできっと目にしたことのある人も多いことでしょう。畑宿からこの関所に至る旧街道には当時の石畳や杉並木が所々残されており、江戸時代の面影をわずかながら残しています。

またここは、箱根の外輪山が唯一壊れている箇所でもあります。「地形の弱点」とでも言うべきこの深い谷に沿って人々が往来したのがそもそもの始まりで、この谷以外の所からは険しい山を越えるしか箱根の中に入る手立てはありません。 この谷沿いの街道を山をかき分けながら登りつめると急に開けるようにして芦ノ湖(標高723m)と、その奥には駒ケ岳(1438m)、さらにその裏手に回ると噴煙を上げる大涌谷(旧名、大地獄)が見えてきます。車のない時代、徒歩でこの道に分け入った人々はきっとその光景に息を呑んだことでしょう。

当日の様子

ここ数年、1年生が富士樹海から三湖台、2年生が箱根旧街道という別々のコースを歩くの通例でしたが、今年は1・2年生とも同じコース、箱根旧街道を歩くことになりました。
1000人あまりが同じ道を歩くというのは本校の長い歴史の中でも初めてのこと。2年生12クラスが1時間先行して学校から出発、1年生12クラスが遅れて馬事公苑から出発し、さらにバスの到着時刻を少しずつずらすことで、スムーズなスタートを図りました。
当日は快晴。山の上でも日蔭のない車道に出るとじっとり汗ばむほどの陽気で、意外ですが、入学式、記念撮影とも雨に祟られた1年生にとってはこれが初の晴れ間となります。
生徒にしてみれば、江戸時代から続く古い道を歩いているというよりも、見晴らしのよくない樹林帯を友だちと話しながら歩いているうちに視界が急に開け、広い湖に出た、というのが正直なところでしょうが(「谷」だから当然ですが)、これを機に一気に打ち解けたクラスも多く、1年生は次の林間学校に向けて、2年生は修学旅行に向けて、今後が楽しみな遠足となりました。山歩きで汗をかいた後に乗る遊覧船は心地よく、芦ノ湖の風を受けながら余韻に浸る生徒たちの姿が見られました。以下少しではありますが、当日の写真を載せておくので、ぜひご覧ください。