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「樹の海」から高みへ 〜1年生の様子〜

一年生にとっては,高校生になって初めての校外行事となります。富士樹海から三湖台へと抜けるルートを歩きました。 前半は鬱蒼と木々が茂る樹海の遊歩道を歩き、後半は一転してその樹海を見下ろす高台へと抜けるルートです。

高台の前にはスリリングな急登が待ちかまえており、クラスのメンバーで手を取り合い、歩く姿が見えました。 昼食場所は樹海を見下ろす三湖台,残念ながら富士山こそ見えませんでしたが,息を切らした後,新しいクラスメイトと食べるお弁当は 格別の味がします。そして今年の特徴は,大雪の残雪があったこと。ここ数年で,初めての経験でした。皆のテンションもUP!! 最後の道の駅では,思い思いのモノを食べ,消費したカロリーをしっかり補給していました(笑)


コラム「樹海のなぜ?」

樹海を歩いた人はきっと、奥多摩や丹沢などの森と雰囲気がちがっていることに気づいたのではないでしょうか。

  • 足元に溶岩が出ている。
  • 洞窟がそこかしこに点在している。
  • 樹海という割には全体に木が細く、大木がない。
  • 木々の根が浅く土に潜れていない。(土が少ない)

樹海は貞観6年(864年)の富士山の噴火により溶岩に埋もれてしまった荒地で、1200年の時をかけてツガやヒノキなどが再生した原生林であると考えられています。
流れ出た溶岩は表面から冷え固まるため、中身が流れ去ってしまうとそこに空洞ができ、落盤などによって地上に姿を現します。これが洞窟の正体。
また1200年と若いことから大木がなく、土も非常に少ないため(植物の死骸などから土が1cmできるのにおよそ100年かかる)、根が土中に潜れていないのです。
「コンパスが利かなくなる」「迷い込むと出られない」など、暗いイメージがまとわりつく樹海ですが、遊歩道として整備されている辺りは明るく、そういった面影はほとんどありません。
ちなみに,この9世紀ごろの噴火を「貞観の大噴火」と言います。よくニュースを見ている人は,この「貞観(じょうがん)」という言葉に反応できるはず… 東日本大震災の時,「この規模の津波は「貞観津波」以来」と言う言葉がニュースに出ました。東日本大震災のような地震が起き,貞観津波がおこったのが869年とされています。貞観の大噴火が864年,不気味なつながりを感じますよね…

古の道を歩く 〜2年生の様子〜

すっかりお馴染みとなった箱根への遠足、学校行事で箱根に来るのも、箱根巡検に続き二度目です。畑宿から箱根関所まで箱根旧街道を歩きました。 箱根といえば芦ノ湖。箱根関所はその芦ノ湖の湖畔にあり、箱根への入口となる畑宿と関所を結ぶ「山越えの道」は江戸時代、交通の難所として知られていました。 畑宿から関所へ、古の人々が歩いた道を歩いてみよう!それが今回の遠足のテーマです。 山道そのものは整備され、昔ほど歩きにくくはないので半日行程とし、午後は海賊船をチャーターして芦ノ湖遊覧を楽しみました。 新クラスになってから初めての校外行事。これから2年間、卒業までの日々を歩む仲間たちと共に、親睦を深めました。

天候は暑すぎず・寒すぎずのハイキング日より。クラス順で登る箱根路では,ところどころで歌声も聞こえました。 「ありの〜ままの〜」と流行を感じさせます(笑)
箱根恩賜公園ではクラスごとに新しい仲間とお弁当を食べました。 また,その後1年生の時同じクラスの友達と集まって写真を撮る様子は,この時期の名物です。 貸し切りとなった海賊船では,甲板に登ったり,ゆっくり客室でくつろいだりと,思い思いの楽しみ方をしていました。 この思い出を胸に,良いクラスを作っていきたいですね。


コラム「江戸時代から続く石畳」

箱根旧街道は、東海道きっての難所として知られる山道です。江戸と京都を結ぶ交通の要所として江戸幕府により関所が設けられ、人とモノの往来が厳しく取り締まられていた場所でもあります。
ちなみに関東の「関」とはこの箱根関所を指します。(→関所の東、で関東。もちろん西は関西)

箱根関所は元和5年(1619年)に設置され、明治2年(1869年)に廃止されるまで250年間に渡って関所の役割を果たしていました。現在目にするのは、それが朽ちて失われた後、近年なって復元されたものです。ここに至る旧街道には当時の石畳や杉並木が残されており、江戸の昔を彷彿とさせます。

地学的には、ここは箱根の外輪山が唯一壊れている箇所にあたり、箱根のカルデラ内へと続く深い谷を形成している所でもあります。
その谷に沿って人々が往来したのがそもそもの始まりで、この谷以外の所からは険しい山を越えるしか箱根の中に入る手立てはありません。 この谷沿いの街道を山をかき分けながら登りつめると急に開けるようにして芦ノ湖、そしてその奥に、駒ケ岳と噴煙を上げる大涌谷が見えてきます。車のない時代、徒歩でこの道に分け入った人々はきっとその光景に息を呑んだことでしょう。